『春の男』作品解説

『春の男』について

 ツイッターで何度か呟いているが、佐藤春夫の詩が自分の感性に突き刺さって離れない。言葉選び、言葉運び、考え方、そういうものがとても好きで、読んでいるこちらの想像力をかきたてられる。1ページ読むたびに本を置いては深々とため息をつくような読み方ばかりをしてしまう。そういう感じで、とにかく、好きである。

 佐藤春夫について研究した訳ではない、好きと言っても詩集を1冊持っている程度の人間がはたしてやっていいのかと迷いつつも、「詩を読んだ時に思い浮かんだネタをSSにしたい」という欲に、結局は勝てなかった。そうやってできたのが『春の男』である。詩を引用することもかなり悩んだのだが、自分が好きだと思った詩を紹介したい、この詩があったからこそ浮かんだ情景なのだと示したいという思いがあり、引用を行った。正直、ファンの方に叱られないか、発行した今もなお不安である。

 細かい話だが、タイトルは太刀「膝丸」が持つ別名「薄緑」が春の野山にちなんでつけられたことから、膝丸=春色の名を持つ男、というのがひとつ。もうひとつは単純に、佐藤春夫=春の夫なので、夫=男と変換したもの。このタイトルも、なんらかの形で使いたいとしばらく考えていたので、今回つけられて満足である。装丁はまったくもって春っぽくないが。


こいまつもの

 刀剣男士と審神者の恋愛譚とはすなわち異類婚姻譚みたいなものなのだろう。だとすれば、嫁ぐものは、人間としての生活や何もかもをすべて捨ててようやく結ばれるのではないか、という発想。

 だが、昔話と違って、娶る方も同じだけの覚悟が必要だろうし、お互いに疑心とは言わずとも、不安はありそうではある。そういうふたりの話。日々募る恋情と不安と、それらをひっくるめた愛情の深さというかなんというか。

 いわゆる、メリーバッドエンドなのかもしれない。が、書いている本人は終わり方の分類についてあんまり考えていないので、ハッピーエンドでもいい。これぞ読む人の解釈に任せるやつ。


悪夢の終わり

 女審神者も似たような夢を見たことにしようかなあと考えながら、この話に両思いハッピーエンドはないな、と考え直し、こうなった。どうにも私は、膝丸を「奪うもの」として書きがちである。というより、思い詰めるところまで思い詰めて、一番駄目な方向で爆発しそうな危うさを勝手に感じてしまった。多分、そういうキャラではないのだろうと分かっていながら書いた。

 話自体は一番あっさり書けたような気がする。いや嘘ですあっさり書けてない。なんだかんだ前半の夢部分が難しかった。後半の手を出し始めるシーンは、privatterで初めて公開した後にだいぶ加筆修正した。ねちっこくなったかな?


涙雨に君は濡れない

 わりとすんなり書けた話。といっても、これを書き上げる前にひとつ、没にしている。没になったもう片方は、転生を繰り返した女審神者が、自分の余命宣告を受けて自殺をしようとしたところを、まだ小学校低学年くらいの膝丸にすんでのところで止められるという、似たような救いのなさが漂う話だった。

 この場合の「見捨てぬ神」は、天におわします名のある神かもしれないし、女審神者の隣に佇む男なのかもしれない。願いを持っているのは女審神者かもしれないし、膝丸かもしれない。どちらにしても、これも深い愛情と、相反する恨めしさを抱えている。

 推敲を繰り返すうちに、何故か女審神者が成仏するような描写になってしまって、書いている本人が一番「あれー……?」と困惑している。


箱庭にて

 これを書き上げるまでに5本くらい書いて、没にした。その内のひとつを年末にツイッターで上げているが、詩の雰囲気にまったくそぐわないな……と思って没となったものである。そうやって没ばかりが増えていった。

 実は、この本のタイトルを『春の男』に決めるまでは、この詩の中にある『幸福の匣』という表現をそのままタイトルにする予定だった。ところが、書いた話を見ていると、そこまで幸福が詰まっている訳でもないと考え、潔く没。ただ、詩そのものはかなり好きで、果てしない没の元、この話が作られた。好きだからこそ書くのに労力を費やしたとも言う。

 人の身を持て余している刀の話。あなたの抱いている強欲は、あなたが元から持ち合わせているものだとは言わない優しさ。優しいのか?

tenco

ひとりごとおきば

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